ジェンダーについて思うこと

LGBTQの皆様、そうでない皆様、今日和。

今回は性別という概念について

私が日々思っていることを記事にしてみました。

こういう意見の人間もいるんだな ということで

お楽しみいただければ嬉しいです。

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カミングアウト。本来は必要ないと思う

以前の記事(別窓で開きます)でご紹介したように

性別ってグラデーションであって、人の数だけあるものですから

改まって「実は…」って告白するほどのものでもないんじゃないでしょうか。

その人が一番その人らしくいられる在り方で

そのまま堂々と生きてればそれでいい。

ああ、そういう人なんだな。

で いい。

そもそも特別でも異常でもない

人の数だけ性別はあり

一人一人にその人なりの在り方がある。

確かにマイノリティだったり珍しかったりするかもしれませんが

だからと言っておかしいわけじゃないですよね。

たまたま肉体の性別は主に二種類しかないかもしれないけど

心や魂の性別なんてそれこそ無数だから

分類しようという方が無理でしょう。

というかもう、性別とか関係なく

その人らしさ

でいいんじゃないかしら。

肉体の性別と心の在り方はイコールではない

誰がどんな体に生まれようと

どんな心を持っていようと

それがその人らしさ。

無理に肉体の性別に合わせて生きる必要はない。

男性らしさ、女性らしさという価値観に自分を当てはめる必要もない。

たかが価値観。

その価値観に違和感があるなら、受け入れなくていいし採用しなくていい。

全く違和感がなくてその価値観が快適だと感じるなら

それでいい。

どんなに女性らしい体をしていても

その人が「自分は男性だ」と感じていれば

その人は男性だし

どっからどう見ても男性に見える人でも

その人が「自分は中性だ」と感じていれば

その人は中性。

そして、誰が誰を好きになってもいい。

外見だけでその人の性別(在り方)をジャッジするのは

大変危険です。

一人一人、自分の価値観を大切にしつつも

他の人の価値観も「なるほど、あなたはそういう価値観なんですね」と

認め合えるといいな。

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誰にでも自分らしく生きる権利がある

それを他者にアレコレ言われる筋合いは

本当は全くない。

もしあーだこーだ言ってくる人が身近にいれば

傷付く事もあるだろうし

疲れもすると思う。

でも本当の本当は

伸び伸びと自分の生きたいように生きる権利が

誰にでもある。

堂々と自分の生きたいように生きて

それを尊重してくれる人との関係を大事に生きればいい。

こちらの生き方、価値観を否定してきたり

無理に他の在り方を期待して押し付けてくるような人に受け入れて貰おうとするのは

ほぼ不可能なんじゃないでしょうか。

その人にはその人の価値観があるから、それを無理に変えることはできない。

終わりに

稚拙な文章ながら、思っていることを書かせて頂きました。

もうジェンダーレスとかジェンダーフリーとかそういう言葉がなくなるくらい

一人一人が生きたいように生きていける世の中になることをマジで願っています。

子孫を繁栄させていくために肉体の性別は必要なんだと思いますが

それは喜んで子供を産んで育てたい人だけで十分だと思います。

心や魂はどんな在り方をしてもいい。

ではでは、どうもでした。

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