初めて死にたいと思った時の話

    

とりとめのない自分語り。

※ヘビーな内容につき閲覧注意です

  

平成のある日。

私は良くも悪くもクソ真面目で教育熱心な両親の元に生まれました。

  

第一子だったのもあってか、物心ついた時から暴力的なまでに厳しく躾けられ

自己肯定感と自信が持てず、卑屈でひねくれた性格に育ちました。

アメとムチでいうと、大げさに言えばアメ0.1 に対してムチ99.9くらいの感覚だった(笑)

怒られたり精神的暴力を受けた記憶が多すぎて、いい思い出が霞んでしまっているだけかもしれないけど、いい思い出が無かったわけでもない。

      

下の兄弟は私がビシバシ扱かれているのを横目で見て

上手いこと怒られないようにやっていた。

それを見て「自分は年上なのになんてダメな奴なんだ」と、ますます自信を失っていく日々でしたね(T▽T)

   

さらに親はいつ不機嫌になるかわからない、地雷のような人だったので

顔色伺いがサバイバルスキルとして身についてしまっていました。

     

お陰で学校や職場でも必要以上にオドオドした人間になってしまい

普通にしているつもりなのに

「なんでそんなに腰が低いんですか」と後輩にまで言われる始末。

だから攻撃欲の強い人間からは、よくナメられた。

  

無視、失礼なあだ名を付けられる、物を勝手に捨てられる、バイ菌扱いで避けられる、陰口、嘲笑、暴言

…などなど

幼稚園〜中学くらいまでは、気弱な人間を狙った定番の嫌がらせはそれなりに受けてきた。

    

そんなんだから、ますます自分に自信なんて持てるわけがないし

無価値感は深まっていくばかりだった。

    

      

小一で精神的ファーストインパクト

     

小学校一年生のある時、一緒に遊んでいた仲良しグループから急に仲間はずれにされ

それが記念すべき

『人生で生きるのをやめたくなった出来事第一号』となった。

     

ただでさえ自己肯定感がスカスカだった心が、ついにボッキリ折れた感じ。

    

親の厳しすぎるしつけに、家でさえ居場所を感じられていなかったのもあって

幼く繊細だった当時の私に、その出来事のショックは大きすぎた。

学校の友人関係という居場所を失えば、逃げ場がなかった。

「もう、死ぬしかない」と思ったのは、決して大げさな気持ちではないと思う。

まだ学校と家以外の世界を知らない年頃だったからね。

   

その日の放課後、私を仲間はずれにしたグループの子に手紙を渡した。

直接渡す勇気がなかったから、別のクラスメイトに頼んで渡してもらった。

書いた内容は詳しくは覚えていないけど

「今日、帰ったら自○します。さようなら」

みたいな内容だったと思う。

   

そういう手紙を書くことで自分なりに

私は死ぬほど傷ついたんだ ということを、仲間外れにした子に分からせたかったんだと思う。

   

帰り道、さてどうやって死のうか と考えながら歩いた。

包丁で胸を刺そうかとか、家のベランダから飛び降りようか とか

でも痛いのも苦しいのも怖いな… とか(笑)

(死にたいくらい傷ついてはいたけど、本当に死んでしまう度胸は多分まだなかった。)

  

そうやって歩いていると後ろから車がやってきて、私の横で止まった。

副担任の先生だった。

なんと言葉をかけられたかは覚えていないけど、心配して追いかけてきたんだったと思う。

私の手紙を受け取った子が、事情を話したらしい。

  

その日結局私は死なず、後日学校でグループの子達から謝られた。

あっさり仲直りして、その後はまたしばらく一緒に遊ぶ関係になった。

      

多分、仲間はずれにした子達には

それほど悪意はなかったんだと思う。

ちょっとした悪戯心だったんだろうね。

ほんの軽い気持ち。

   

それでも、私は死にたくなるほど傷ついてしまった。

親からのしつけがもうちょっとマイルドで

ある程度自己肯定感があって

家庭に居場所を見出せる状態だったら

ここまで精神的にやられなかったかもしれないけど^^;

    

たとえ軽い気持ちでも

仲間外れとか、相手を傷つける可能性のある行為はやっちゃいかんな 

身をもって学んだ出来事でした。

人間不信という後遺症を置き土産に残して…(T▽T)

   

 

楽しい話ではありませんでしたが

最後までお読み頂き有難うございました。

   

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